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2023年2月6日月曜日

 ペトロ高橋恵珉(たかはしけいみん)の子孫を捜しています

 明治26年頃、岩手県盛岡の元僧侶であった高橋恵珉が会津に家族と来て、恵珉は伝導師として、ドシェ師、レイノー師のもとで山口鹿三とともに伝導活動されました。家族は妻エキ、長男幸太郎、次男ジュンイチまでは盛岡で洗礼を受けていることから、長女トミ、次女チカも盛岡で洗礼を受けていたと思われます。恵珉と妻エキは1893年・94年頃、郡山の井越(女性)、渡辺シンメイ(男性)、渡辺スミ(女性)、渡辺ヨウスケ(男性)、渡辺ヨウシロ(男)、1903年に福島の畠山熊太郎などの代父や代母になっていたようです。
 
 ところで、教会所有の豊岡墓地の恵珉の長男の墓石正面の刻字は「天主僕高橋幸太郎乃墓」、裏面は「天主降生千九百四年十月四日没」、「布以 保慈眠待復活栄福」とあります。
 その墓石はかなり大きく地震で傾き、墓地の塀の土台からの全面改修するのに危険で、墓屋さんに依頼し寝かせました。塀の工事も完了し、その墓石をどうしょうということになり、寝かせただけでもそれなりの費用が掛かり、更に元に戻すにはこれまた多額費用が掛かるので、子孫の方がおられたら相談したいので会津若松教会まで連絡をお願いします。 
2023年2月7日
 
その後、高橋恵珉の3男の高橋純一が盛岡の先人たちの項目で、初代信州大学学長であったことが分かりました。。
高橋純一(1887年~1959年)
福島県の旧安積中学を卒業、仙台第二高校を経て、東京帝国大学理科大学地質科を卒業。
1917年金沢の第四高等中学教授、1921年東北帝国大学助教授、戦後、東北大学理学部長となり、その後、1950年新設された信州大学初代学長となられます。
高橋しん(純一の弟)は1894年に郡山で生まれています。
 
高橋恵珉の子孫の方をご存じの方はカトリック会津若松教会まで、電話は神父様不在の時もありますからメールでお知らせください。よろしくお願いします。
メールアドレス CatholicAizu2019@gmail.com


カトリック会津若松教会

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