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2020年9月28日月曜日

会津のキリスト宣教

カトリック会津若松教会小史

  会津におけるキリスト教の宣教は、フランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられた1549(天文18)年から41年後の1590(天正18)年8月、レオ蒲生氏郷の会津入部に始まる。
 氏郷は高山右近の勧めによって大阪で洗礼を受けた。氏郷が会津の城主として在任したのは5年足らず、彼の家臣に多くのキリスト信徒が輩出した。彼の家臣団が氏郷の篤を慕って宣教したため信者が非常に増加した。城の名、「鶴ヶ城」は氏郷の幼名「鶴千代」から付けられた。
 猪苗代、若松他、各地に多くの聖堂が建ち、猪苗代にはセミナリオ(神学校)も建ったと言われている。しかしその時はすでに豊臣秀吉によってキリシタン禁止令が出され、しばらくして会津にも迫害の手が及んできた。
 迫害は江戸時代でさらに一層ひどくなり、キリスト教信徒の追放と投獄が行われ、聖堂は次々と破壊され、司祭の宣教は困難を極め、多くの殉教者を出した。それから260年の禁教と鎖国政策により司祭の入国は認められず、会津でも宣教の道は閉ざされた。
 
 明治になり、1873年にキリシタン禁制の高札は撤去されたが、まだまだキリスト教への迫害は続いていた。実際に迫害が収まるのは、政府が派遣した欧米視察以降で、欧米視察に行った政府役人、伊藤博文・大熊重信・岩倉具視らなど行く先々で日本の宗教弾圧への厳しい抗議を受けたからで、その抗議の厳しさと激しさに、否応なしに明治政府は宗教の自由を真に認めざるを得なくなり、日本国内のキリスト教弾圧が沈静化していった。
 
1879(明治12)年パリ外国宣教会のウイグルス司祭によって若松は東京の築地教会の巡回地と             なり、1880年頃に若松で最初の受洗者が出た。(洗礼台帳消失により氏名等は不詳) 
田島の福米沢の湯田初次郎が福米沢でのウイグルス師の最初の受洗者(1882年11月に受洗)。初次郎は大変な呑兵衛で気性が荒く両親を困らせていた。その初次郎がウイグルス師と出会い全く別人のように信心深い信仰者となった。それを見た両親が驚き、さらに村人も仰天し、村民も習って受洗した。初次郎の家の屋根には十字架が建てられた。
1885年(明治18年) ラフォン司祭によって旧家を購入し聖堂を設立。ラフォン司祭の出身地の保護聖人の名である聖アマンシウス聖堂と命名した。会津若松教会は小教区となった。
1893年(明治26年)喜多方市慶徳神宮の山口鹿三宅で毎月聖書研究会が開かれた。
1897年(明治30年)ファヴィエ司祭によって聖堂西側に六角堂が建てられた。ハイカラな様式で司祭の憩いの家であった。
1900年(明治33年)司祭館が増築され、四つの部屋が出来た。
1890年~1907年頃 山口鹿三(後に伝道師)、児玉定吉、大久保甚吾、鈴木蔀(しとみ)、山田茂作など多くの信徒が輩出した。
1912年(大正元年)ベルリオズ司教によって新聖堂(現在の聖堂)の献堂式が8月15日に行われ、「無原罪の聖母聖堂」と命名された。これまでの聖堂は香部屋とし旧聖堂の上の鐘は取り外され、六角堂も取り払われた。下記の写真が新聖堂の入口の写真
 
 1928年(昭和3年)塩川町出身の大久保俊作が3月にローマで司祭に叙階された。会津出身の最初の司祭。
1931年(昭和6年)主任司祭として土井辰雄が着任。後に日本人最初の枢機卿になる。
1934年(昭和9年)大神学校予備神学校を教会内に開設した。昭和12年に閉校した。深沢守三、児玉六七男、平塚秀雄などの神学性が学んだ。その後、この御三人は司祭となった。
1938年(昭和13年)司祭館改築、9月8日落成祝別式
1940年(昭和15年)前年に着手したルルド造成は、聖母安置により5月26日に落成した。聖母像は彫刻家の鈴木仁亮氏、ルルド造成は森勘介氏の寄付によってである。マリア像は御顔が日本人をモデルにして制作されたとして当時は評判であった。

1940年~1945年 第二次世界大戦により、教会活動やミサは極端に制約された。司祭や長老たちは、度々警察所に召喚されるなど試練の時代であった。 
1960年(昭和35年)会津地区の司牧はパリミッション外国宣教会からメキシコのグァタルペ宣教会へ引き継がれ、初代はアレハンドロ・リオス司祭である。
1962年(昭和37年)1960年に神指町黒川薬師河原に多数のキリシタンの遺骨が見つかり、1962年6月に会津キリシタン供養碑を建立しエスカランテ司教隣席のもとミサを捧げた。それ以来、この殉教地で毎年6月にミサを捧げるようになった。
1964年(昭和39年)グァタルペ 宣教会によって喜多方教会が落成し、同年12月8日献堂式が行われた。信徒大会が初めて開かれた。信徒使徒職活動の具体案を決めた。
1966年(昭和41年)「会津キリスト教連合会」主催で第一回クリスマス市民の集いが行われ、毎年開催された。同年5月8日に会津坂下町に巡回教会を設立した。
1970年(昭和45年)会津キリシタン文化史展が11月5日から9日まで市公民館で開催された。
1972年(昭和47年)第二回信徒大会が開催された。
1973年(昭和48年)カトリック会館の落成。2021年に老朽化のため解体。
1974年(昭和49年)聖堂玄関の拡張、窓の取り換えを行った。
1981年(昭和56年)教皇ヨハネ・パウロ2世来日。東京後楽園球場の野外ミサに70名参加。
1985年(昭和60年)9月16日(日)教会設立100周年記念と「県の集い」を同時に行い、
盛大に祝う。
2004年(平成16年)教会聖堂外壁修繕、ステンドグラスの改修を行う。2006年から2007年に司祭館の大規模改修工事を行う。
2011年3月11日(金)の東日本大震災で壊れた聖堂内の天井や壁、聖母子像を修理し、大きく壊れた「み心のキリスト像」に替えて「聖ヨゼフ像」を新たに安置した。
2012年8月15日に献堂100周年を祝い記念誌を発行した。
 

 

 

 

 

カトリック会津若松教会

 5月ミサ時間 May Mass Time  5月 3日(金)初金ミサ 9:30am     5日(日)ミサ   9:30am      12日(日)主の昇天      ミサ9:30am     19日(日)聖霊降臨の主日 ミサ9:30am     26日(日)三位一体の主日 ミ...