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2025年11月15日土曜日

 12月ミサ時間

December Mass Time

12月 7日(日)待降節第2主日    ミサ9:30am
        8日(月)無原罪の聖マリア   ミサ9:30am
    14日(日)待降節第3主日    ミサ9:30am 黙想会 ミサ後講話
    21日(日)待降節第4主日      ミサ9:30am
    24日(水)主のご降誕夜半ミサ   ミサ4:30pm
        25日(木)主の降誕ミサ      ミサ9:30am
    28日(日)聖家族         ミサ2:00pm
2026年
 1月 1日(木)神の母聖マリア    ミサ9:30am
           4日(日)主の公現       ミサ9:30am 
 

2025年10月13日月曜日

 11月ミサ時間

November Mass Time

11月 2日(日)年間第31主日   ミサ午前9:30am 追悼ミサ
      9日(日)年間第32主日   ミサ午前9:30am
    16日(日)年間第33主日   ミサ午前9:30am
    23日(日)王であるキリスト  ミサ午後2:00pm  
        30日(日)待降節第1主日    ミサ午後2:00pm
 12月14日(日)待降節第3主日   ミサ午前9:30am 待降節黙想会
 
 
 11月の活花




 
 モーセの十戒(一部)
神である主を愛せよ
人を殺すな
 

2025年9月15日月曜日

 10月ミサ時間

October Mass Time

10月 3日(金)初金ミサ      午前9:30am
   4日(土)より毎週土曜日(11日、18日、25日)
                   午後3時pmからロザリオの祈り                                
     5日(日)年間第27主日  ミサ午後2:00pm
       12日(日)年間第28主日  猪苗代殉教地ミサ中止  教会10時
   19日(日)年間第29主日  ミサ午前9:30am
   26日(日)年間第30主日  ミサ午後2:00pm
 
今月の活花


 
 
 

2025年3月10日月曜日

 2025年殉教地ミサ

10月12日(日)猪苗代殉教地中止 教会聖堂午前10時

     熊出没につき猪苗代殉教地ミサは中止いたします。

  

2023年2月6日月曜日

殉教地の歴史 

 猪苗代殉教地   

  この殉教地跡は、昔からキリシタン信者を処刑したとき削ぎ落した耳を埋めた「耳塚」と言われたり、岡越後妻子の墓、あるいは「バテレン塚」と言い継がれ、地元の人々も畏れて手をつけられずに来た。
 耶麻郡誌にも「見祢山の谷間にバテレン塚と唱うるもの三つあり、岡越後妻子を埋めし所と云い伝う」と書かれている。
 岡越後は、蒲生氏郷の家臣で剛勇をもって知られた猪苗代の城代家老でもあったが、また、熱心なキリシタン信者で城下町に教会堂を建てて、自ら信仰の指導をしたり、見祢山の山麓、岩㟢 神社の西隣にセミナリヨ(神学校)を建てて宣教師を宿泊させて信者の信仰を行ったりした。そのため家臣、領民がことごとくキリシタンになり、神社の神官や僧侶は生活に困り、寺社が衰退したと記録に残っている。


神指黒川キリシタン殉教地

 
 嘉永十二年(1635年)12月17日、田島の水無村で会津キリシタンの中心人物、横沢丹波一族と信者たち、さらにその家の二重壁に隠れていたバテレンなど六十余名が捕らえられ、17日から20日にかけて処刑された。(丹波は熱塩の野辺沢の人)。
 丹波は背に南無阿弥陀仏と書かれた板を背負わされ、逆さ磔けの刑に処せられた。その時、幼い子供たちも処刑されたが、彼らは年少にもかかわらず極刑にされることを少しも恐れず殉教した。
 逆さ磔けにされた日本人はたいてい二日もすれば絶命するのに、このバテレンは20日に逆磔(さかがけ)にされ、26日の夕刻まで一週間生きていて見物人に強い感銘を与えたという。
 また、近くには穢多町(えたまち)側に屋根はあっても壁のない小屋を造り、らい病者でキリシタンになった人を置いて風霜にさらして殺し、これらの死骸を一緒に埋めて塚にしたと言われる。
 塚の場所は「西黒川小黒川分の切支丹塚なり」と会津年表にも書かれているが、はっきりした場所については確定しないままに来た。
 昭和32年5月、地区整理に当たって今のキリシタン塚の東に橋がかけられたが、この工事に際して近くの堰から土を運んでいたところ、近くに住む岩沢直治氏(当時80歳)が驚いて、「そこを掘れば切支丹が出るぞ」と注意したそうだが、何も知らない人夫たちはその注意を
一笑に付してなおも作業を続けていたところ、一、二日もすると本当に人骨が出て作業を中止したという。
 6月23日、会津史談会の友田康雄氏、鈴木茂雄氏ら5名は早速、岩沢直治氏の案内で検分した。両氏は会津旧事雑考、新編會津風土記などの古文献と照らし合わせこの場所が切支丹塚と確信し、昭和36年「会津史談会」36号に研究成果を発表するとともに、関係者と協議してほぼ原形のままで買い取り教会に寄付した。
 教会では信徒がお金を出しあって碑と祭壇を建て、昭和37年6月24日にエスカランテ司教臨席の下、リオス神父によって落成のミサが捧げられて今日に至っている。


 

 

2022年7月3日日曜日

新しいステンドグラス

 



デザインと制作はステンドグラス作家の野口元彌さんです。

明るい雰囲気になりましたね。

まだお気づきでないかたは、聖堂にお入りの際には、玄関ドアの上にも一度ご注目ください。

カトリック会津若松教会

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